東京のセミ分布で注目されている地域差の話はご存知でしょうか。浅草近辺、隅田川両岸の隅田公園のうち、台東区側にはミンミンゼミいるが、対岸の墨田区側にはいない謎。一説によれば、東京大空襲で焼き尽くされ一旦絶滅、台東区側は上野などから再進出したが、アブラゼミより飛翔力が弱いミンミンゼミは隅田川を渡れないという考察も。今夏、墨田区側にもミンミンゼミが再進出したことを確認したので報告します。
東京に住むセミとその分布
軽く調べた程度ですが、東京には6種類のセミがいるとされています。アブラゼミ、ミンミンゼミ、ツクツクボウシ、ニイニイゼミ、クマゼミ、ヒグラシです(吉野,2008,2009)。アブラゼミは全域に分布し個体数も多く、ミンミンゼミが続くとされます。
実家がある静岡市では、クマゼミが優先でミンミンゼミは丘陵・標高ある場所にいるイメージでした。東京に来たら、アブラゼミ優先で平地の公園でもミンミンゼミが普通にいるので、、はじめは違和感覚えたものです。
なお東京にもクマゼミはいますが、散発的な分布のため、植栽等に混じって入ってきたものが多そうです。
ミンミンゼミは隅田川を渡れない?隅田公園両岸で異なる分布の謎
冒頭で触れたミンミンゼミ隅田川を渡れない説。これは、杉並メダカで知られる須田孫七さんが、朝日新聞で語った話が元になっています。掲載されたのは2009年8月13日夕刊「アブラゼミ戦火の記憶」。内容はネットに転載されたものが見られますが、著作権の問題があるのでここでは触れません。
低地(墨田区)ではアブラゼミ1種が優占種となっているということが明らかになった。その理由としては須田氏の次のような説もある。
その理由は東京大空襲との説である。(1)大空襲で地域の昆虫のほとんどが全滅。セミの幼虫も焼き尽くされた 。(2)復興後、他の昆虫の多くは植樹や河川敷を利用して木々にとりつくなど生態系を戻したが、木とその根元の地中をすみかとするセミは、雌雄ともに飛行距離が比較的長いアブラゼミが、 焼け残った場所からたどり着くにとどまったとされている。須田氏は、空襲でいったん地域のセミが全滅し、復興後も川と急速な宅地化により、アブラゼミ以外のセミが公園にたどり着けていない可能性がある(須田、2009)という指摘である。
東京の低地におけるセミの分布の解明
各種調査で、低地の墨田区ではアブラゼミが圧倒的優先であることがわかっていますが、それを象徴する場所が隅田川両岸に広がる隅田公園です。生き物系イベント開催地として知られる東京都立産業貿易センターの裏あたり。
隅田公園の台東区・浅草側にはミンミンゼミがいるのに、墨田区・スカイツリー側にはいない。ほぼ同じ環境なのになぜだろう、という話です。
墨田区側隅田公園は、水戸徳川家の下屋敷由来で、伊達政宗から伝わった名刀燭台切光忠が関東大震災で被災したことで知られます。その後、後藤新平の発案で浜町公園・錦糸公園と並び震災復興公園として整備されました。
墨田区側の隅田公園はじめじめした感じの暗い公園なイメージでしたが、オリンピックを前に整備され、常緑の芝生が美しい開放的な公園に生まれ変わっています。リニューアル後の2020年夏に数時間滞在した所では、アブラゼミしかいませんでした。以来、注目して通りがかったときには気にしていました。
2023年、墨田区側隅田公園でもミンミンゼミの鳴き声を確認
先日車で通りがかった所、ミンミンゼミの鳴き声を確認、数日再訪して両日ともミンミンゼミが鳴いていることを確認しました。つまり、ついにミンミンゼミが隅田川を渡ったのです。以下の動画の神社は墨田区側隅田公園の一角にある牛嶋神社です。
※補足
台東区側ではなんとクマゼミの鳴き声も確認しました。足立区あたりの公園にいることは聞いていたのですが、浅草にもいるのですね…。ただし、個体数は少ないようでアブラゼミの方が優占しています。
考察と疑問
さて、隅田川を隔てるだけでミンミンゼミ分布が変わる謎について。私は飛翔力がアブラゼミとミンミンゼミでどれだけ違うか把握していません。また、物資や車に紛れて移動するものもあるので、隅田川だけで説明できるのかは疑問です。実際、墨田区両国の旧安田庭園でもミンミンゼミの鳴き声は確認しています。
また、隅田公園から近い墨田区役所そばの首都高付近でもかなりの合唱が聞かれました。元々個体数は少ないものの生息していて、観察量・機会が少なかった可能性があります。須田氏の指摘と同時期に行われた調査では、台東区側と墨田区側で説明が必要な大差はあるものの、隅田側でも少数ミンミンゼミが確認されています。
一方、低地の墨田区はアブラゼミ優占地として知られ、ほかのセミは少ないことから、元々少なかった種が空襲で一旦地域絶滅した可能性はあろうと思います。その象徴が、隅田公園だったということなのでしょう。