2022年に出た昆虫図鑑『学研の図鑑LIVE新版』は、“全種生体白バック”という革命的・歴史的な一冊。さらに、総監修を務めた丸山宗利先生による新書『昆虫学者、奇跡の図鑑を作る』が早くも発売された。数十人が関わる一大プロジェクトの顛末記である。ある種が選ばれた理由、生態が特殊だったり採集・撮影困難な種など、改めて図鑑を開き直したくなるだろう。
丸山先生が「最高の、最高の、最高の図鑑です」と宣言した話
今、「昆虫大学」で丸山先生が「最高の図鑑です」と宣言したシーンをぼんやり思い返している。
私は仕事でWeb編集業もしているから「最高」「ベスト」といった言葉に敏感だ。比較、言い切りには根拠が必要で、安易に使われていると削らせてもらうことが多い。だから印象に残った。
総監修を務めた丸山先生は図鑑を宣伝する立場にあるし、大人数が関わったみんなの成果という思いと認識しているが、なかなかここまで言い切れるものではない。
冒頭の発言は、「昆虫大学」の夜の部で丸山先生が行った、図鑑に関するプレゼンでのもの。「昆虫大学」はメレ山メレ子さん主催のイベント。2022年夏に東京浅草橋で開催され、私も地元民として当日スタッフに入った。
学研の昆虫図鑑『学研の図鑑LIVE新版』は発売前から大きな話題を呼び、「昆虫大学」にも丸山先生はじめ多くの関係者が出展していた。「夜学」と称する夜の部では、数人のゲストがプレゼンする趣向だ。
昆虫図鑑で「全種生体白バック」という偉業
まず、昆虫図鑑で「全種生体白バック」の時点で、すでに偉業だ。問題はどうやりきったのか。本書では、誰がどの分類群を担当し、どういう苦労があったのか、具体的なエピソードを交えて描かれている。
例えばトンボは死ぬと変色してしまうので、生体白バックにする価値が高い。採集の難易度もあり、トンボに詳しい人が撮影することが望ましい。
ところが、担当のトガシユウスケさんは、なんと一眼を持っていない所からのスタートだったという。
撮影班が数十人いたので、図鑑掲載レベルの生体白バック撮影技術を持つ人が、数十人爆誕してしまった。学研の図鑑が残した”レガシー(遺産)”といえる。
Twitterでは、すでに多くの美麗写真が見られるようになっている。ありがたいことだ。
一年で図鑑掲載種を採集し撮影する苦労
図鑑で多くの種を並べるには、統一感ある写真が求められる。体の向き、角度、触角や脚、羽根の開き方などを分類群ごとに統一する。
そのため、写真が上手ですでに手持ち素材があった人も、多くの場合再撮影が必要だった。ということは、一年で掲載種を一通り採集しなければならない。
きれいな個体を得るために幼虫から育てたり、成虫寿命が数時間しかないネジレバネやカゲロウを撮る苦労もあったという。
標本ならともかく、期限付きで生体を確保する困難さは容易に想像できる。おつかれさまとしか言いようがない。
自分が詳しくない分類群のページも改めて開きたくなる
学研の図鑑では、7000種撮影し2800種掲載している。種の絞り込みには心苦しいものがあったと思う。それだけになぜこの種を掲載したかったのかという理由が、それぞれあった。
本書を読むと、自分がくわしくない分類のページも改めて開いて、しみじみと眺めたくなるはずだ。
デザインでも広告でも、仕事の成果物はそれ単体で成立することが求められる。文脈なく色々な人が見ても伝わる、品質やわかりやすさ。
その一方で、制作側には伝えたいメッセージはこれで、そのためにした工夫や苦労はこれ、という話がある。
プロの仕事はその制作過程を見せてもらうことにも価値がある。『昆虫学者、奇跡の図鑑を作る』はそういう一冊だ。
図鑑制作記を本という体裁にまとめた意味
多くのエピソードも、プロジェクトが終われば失われていく。例えば、表紙の法師人響さんの写真。クワガタを投げるカブトムシに隅々までピントが合っている奇跡的な一枚だ。
代表的なエピソードだが、イベント等でほかの様々なエピソードにも触れていくには時間が足りなすぎる。
また、図鑑は多くの種を掲載する都合上、一種あたりの枠が小さい。話し出したら長い種でも、1文2文しか割けない。
それらをイベントで話すには、時間が足りないし、聞ける人数も限られる。だから、今回丸山先生が図鑑制作記を新書のボリュームで書いてくれことはありがたい。
人に焦点を当てることで制作陣の実績として記録された点も意味がある。
最後に、今回の学研の図鑑制作では、20代の若い方もたくさん関わっている。丸山先生の書籍に名前付きで言及されたことは、今後の活躍に道をひらくことになるだろう。