知ってる?ミシシッピアカミミガメ(ミドリガメ)が日本に定着した経緯

みんながしらないカメの話

大量に輸入されたミドリガメ(ミシシッピ)が野外に放され、特定外来生物として禁止等の法規制が検討される社会問題となっています。ミドリガメブームはなぜ起こり、そのなかでお菓子メーカーが「アマゾンの緑ガメあげます!」と景品にしたキャンペーンは、どういう役割を果たしたのか。このキャンペーンに関わった上野動物園職員の書籍を元に、紐解いていきます。

1966年に行われたミドリガメを景品にしたキャンペーンについては大体のことがわかっていますが、ミドリガメブームの火付け役と言い切れるかは資料不足でした。TV CMや雑誌広告も打たれ、毎週3000匹合計15000匹と大がかりだったことは間違いありませんが、どの程度ミドリガメブームに影響あったのでしょうか。

お忙しい方のために結論から書くと、上野動物園の職員がミドリガメを日本中の子どもに知ってほしい、とお菓子メーカーに相談したことがキャンペーンのきっかけで、このキャンペーンを通じて積極的に関わり続け、その結果日本にミドリガメブームが起きた、という話です。

追記。2021年8月の専門家会議で、アメリカ・ミドリガメ規制を念頭に、法改正による“規制の仕組み必要”との提言がまとまり、具体的には種の保存法「特定第二種」の外来生物法版的なものが想定されています。この経緯について、詳しく解説します。

ミドリガメお菓子景品広告
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ミドリガメのキャンペーンには上野動物園が主体的に関わっていた!

上野動物園。出口専用だった弁天門からも入園できるようになった。
上野動物園。出口専用だった弁天門からも入園できるようになった。

上記の森永製菓のミドリガメ景品キャンペーンですが、上野水族館飼育係長 杉浦宏さんが「緑ガメは 可愛くて丈夫なので 世界中の動物愛好家が ペットにしています。」とコメントしています。所属付きで名前が出ていますから、上野動物園としての活動だったことがわかります。

上野水族館(上野動物園水族館)は葛西臨海水族園の前身で、上野動物園内にありました。杉浦宏さんは、上野動物園水族館、井の頭水生文化園水生物館長などを歴任し、TBSラジオ「全国子ども電話相談室」の回答者を務め、児童書を中心に著作も多い方です。なお「子ども科学電話相談」はNHKの別番組。

「入れない・捨てない・拡げない」の被害予防三原則など、外来種問題の認識が広まった現代では、動物園が外来種を配る話にお墨付きを与えることはありえませんが、どの程度関わっていたのか気になる所です。

それで、このキャンペーン企画に杉浦宏さんが主体的に関わっていたことは、ご本人の書籍「みんながしらないカメの話(1994)」に書かれています。現在は絶版で中古だと高価ですが、上野の国際子ども図書館はじめ各図書館に収蔵されています。

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以下、「みんながしらないカメの話(1994)」を元に、ミドリガメがどのように日本に広まったか見ていきます。

ミドリガメはいつ日本に入ってきたのか

資料により、ミドリガメが日本に入ってきたのは1950年代とするものと1960年代とするものがあり、どちらでしょうか。

杉浦さんは、1960年に動物商から持ち込まれたミドリガメを上野動物園で予備的に飼育したのが、初めての記録としています。「ミドリガメ」という総称は、甲羅が黒い日本の在来種と異なり、甲羅が緑色であることに由来します。
#甲羅が緑色なのは幼体で、大人になると黒ずむ種が多い

最初のミドリガメは書類上はマップタートル(チズガメ)で、その後も持ち込まれたミドリガメには複数種類いて、イエロー・ベリー・タートルをキバラガメと呼ぶことにし、レッド・イヤー・タートル(ミシシッピアカミミガメ)も混じっていたと。キバラガメは今も和名として定着していますね。

したがって、ミドリガメの仲間は1950年代から日本に持ち込まれていたが、公的な記録があるのは1960年以降、と言えそうです。

ミドリガメがお菓子の景品になった経緯

お菓子メーカーが企画して、杉浦さんの名前だけ借りたのか、杉浦さんが主体的に関わっていたのかは、重要なポイントです。

杉浦さんによれば、お菓子メーカーの宣伝部の人と知り合いで、「この小さなかわいいカメを、日本中の子どもにしってもらいたいとおもっているのですが、なにか方法はないでしょうか?」という会話のなかから、お菓子の景品にするのはどうかという企画になった、というのです。

動物が好きな子はもちろん、「動物に関心がない子どもが、こういう機会に、カメをもらって飼うようになって、動物が大好きになってくれるかもしれないとも考え」た、と。大切に飼ってもらえるよう、カメと一緒に「カメの正しい飼い方」のリーフレットを入れるなどしています。

キャンペーンには毎週3000人5週間で15000匹必要でしたが、その年はもう時期的に子ガメを捕まえられないため翌1966年に実施したとしているので、1965年末公開の映画ガメラにミドリガメが登場したことは、本キャンペーンと無関係と言ってよいでしょう。

ミドリガメを全国に配送する方法

このキャンペーンでは、石鹸箱に入れたミドリガメを封筒に入れて郵便で送るという、現代からするとやや乱暴な輸送方法だったことが知られています。

これについては、業者が発案した説もありますが、杉浦さんはアメリカとオーストラリアの子どもの間で、封筒に入れたトカゲを交換しているエピソードから着想したとしています。

東京の中央郵便局に相談した上で「カメの子をプラスチックのせっけん箱にいれて、それを封筒にいれて切手をはってポストにいれれば、子どもたちの家までとどけましょう」という回答をもらったそうで、全体に大雑把な時代だったのかもしれません。
#実際には死着もあり、現場は大変だったようです。

配られたのは“コロンビアクジャクガメ”だった?

現代ではミドリガメ=ミシシッピアカミミガメのイメージですが、このキャンペーンで配られたのはコロンビアクジャクガメだった、という説があります。

これについては複数種だったことがわかっていますが、コロンビアクジャクガメ中心ではなく、ミシシッピアカミミガメがほとんどだったようです。

杉浦さんがキャンペーンのため入荷したミドリガメを見に行くと(この辺りでも主体的に関わっていますね)、北米南部(ミシシッピー州も北米南部)で捕まえたものがほとんどで、コロンビア地方のアカガメ、クジャクガメ、チズガメなどもいたものの、アマゾン原産のカメではなかったとしています。
#ちなみに、コロンビアではクジャクガメは保護種となり、1970年代以降北米で養殖されたミシシッピアカミミガメが輸入の主体となり、ミドリガメ=ミシシッピアカミミガメとなっていきます。

“アマゾンの”ミドリガメになった経緯

ミシシッピアカミミガメは北米原産なので、“アマゾンのミドリガメではない、という点はよく指摘されるポイントです。

用意されたカメはコロンビアクジャクガメ含めアマゾン原産ではありませんでしたが、お菓子メーカーとしてはキャッチーな“アマゾンの”ミドリガメを使いたいため、代わりに飼い方のリーフレットで複数の種や産地があることを説明した経緯が書かれています。

お菓子メーカーのキャンペーンが、ミドリガメブームを引き起こした

1960年代から1970年代にかけミドリガメブームが起きたことは知られていますが、このキャンペーンがどう影響与えたのか、当事者の認識が知りたいと思っていました。

結論としては、杉浦さん自身、このキャンペーンがミドリガメブームを引き起こした、としています。ところが、サルモネラ菌報道や、成長すると大きくなることなどから、野外に捨てられる個体が相次ぎ、現代にいたります。

個人的には「寿命が数十年と長いこと」「約30cmと大きくなること」を伏せてキャンペーンしたのが良くなかったと思います。寿命数十年は犬猫より長く大型インコレベルであり、子どもに責任をもたせる話ではありません。

鳥飼いの友人もいますが、大型インコを飼うかどうかは、40歳がタイムリミットだとしています。つまり、自分より長生きする可能性があるので、責任持って飼うならそこまで考えなければいけない、ということです。

今では日本で見られるカメの6割がミシシッピアカミミガメとなっている

見てきたように、上野動物園の職員が「この小さなかわいいカメを、日本中の子どもにしってもらいたい」と発案したことが、日本で見られるカメの6割がミシシッピアカミミガメとなり、在来種を圧迫するという国内を代表する外来種問題を引き起こしたのです。

  • カメ類のみならず、ペットとして流通している爬虫類の中で最も多数が輸入、流通している(国立環境研究所
  • 環境省の調査では2013年時点で約110万世帯で約180万匹を飼育
  • 2016年の調査で野外で800万匹弱が生息と推計

ミシシッピアカミミガメは、統計が残っている1990年代半ばには毎年100万匹輸入されています。ブーム以降は杉浦さんの手を離れてしまった部分もありますが、発端としての責任は大きいでしょう。

また、上野動物園職員という専門家であっても、外来種問題について認識していなかったようです。お菓子メーカーのキャンペーンは1966年と半世紀前、まだ都市近郊にがいたような、水辺が豊かな時代でした。

「みんながしらないカメの話」でも、外に逃がしてしまったことは残念としながら、生態系への影響については触れていないので、1994年時点でも外来種問題について認識していなかったようです。
#低学年向けの本なので省いた可能性もある

「特定外来生物法」は2004年成立ですので、1990年代には外来種は問題になっていたと思います。

感想…

ミシシッピアカミミガメとアメリカザリガニは、生態系に対する被害が明らかでありながら特定外来生物に指定できていない二大巨頭と言われています。飼育数が多すぎて指定時に遺棄など社会的混乱が起きかねないからです。

刺激的なので「上野動物園がミドリガメブームを作った」まではタイトルにしませんでしたが、こうまでミドリガメブームに上野動物園(の名物職員)が積極的に関わっていたことに正直驚いています。他人がそう言っているならともかく、ご自身の著書で関わりを明言している話です。書籍「みんながしらないカメの話(1994)」は都内でも複数の図書館が開架に置いていますので、すぐ確認できます。

ブームになってしまった後はアンコントローラブルであること、当時は外来種問題が認識されていなかったことは置いておいたとしても、ミドリガメ問題の解決において、当事者である上野動物園の責任は大きいはず。検討が進んで、今後ミシシッピアカミミガメが規制されることになったら、その役割を果たしていただければと思います。
#私が知らないだけで、上野動物園がミドリガメ問題の解決に精力的に関わっている、ということでしたら教えて下さい。隣接する不忍池すら放置されていますが…

不忍池 外来種の脅威 都、20年以上放置 在来種すみかピンチ
東京都民の憩いの場、上野公園内の不忍池(しのばずのいけ)(台東区)で、外来種のや増加が懸念されている。管理する都は、池の水生生物の調査や外来種の駆除を二十年以上していない。昨年夏、繁殖力の強い外来種のカメの産も確認されており、専門家は「きちんと調査して対策をしないと、在来種のすみかが奪われる」と警鐘を鳴らす。

不忍池 外来種の脅威 都、20年以上放置 在来種すみかピンチ:東京新聞 TOKYO Web
不忍池。餌やりおじさんが複数いて、コイやアカミミガメがいる
不忍池。やりおじさんが複数いて、コイやアカミミガメがいる

それにしても、先人が責任取らず被害が広まったツケを子や孫世代が取らされる理不尽感がすごい…。外来種問題は、広まってしまったからどうしようもないではなく、放置しておくとどんどん大変なことになることが、よくわかりますね!

上野動物園元館長小宮輝之さんの2020年の書籍。外来生物の言い分の前に、自分たちがブームにしたミドリガメなんとかしてださい。

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※保留

この資料も見たほうがいい、事実関係の誤り、補足などあればお寄せください。随時、修正します。

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